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吉川英治 声: 阿座上洋平
武器 派閥
代表作 鳴門秘帖 宮本武蔵 三国志
回想 山月記 恩讐の彼方に

時代を感じさせる、一風変わった佇まいの男。「我以外皆師也」をモットーに生きる非凡な勉強家で敵との戦い以外でも自己鍛錬は欠かさない。健康オタクでやたらと鍛えることを薦めてくるという欠点があるが、それを除けば頼れる先輩と言うことが出来るだろう。歴史好きでもあり名将や剣豪の名言に詳しい。

モデルになった吉川英治はこんな人!

筆名:吉川英治
本名:吉川英次
出身地:神奈川県久良岐郡中村根岸
生年月日:1892年8月11日
没年:1962年9月7日(満70歳没)

生涯

旧小田原藩士・吉川直広の次男として出生。

父の仕事が安定せず、幼いころから波乱に満ちた暮らしをする。いくつかの職業を転々としながら、独学を行った。

1910年に上京。

1914年に『江の島物語』を執筆するが生活はなかなか安定しなかった。

1925年に創刊された講談社の『キング』で『剣難女難』を執筆し、人気を博する。初めて吉川英治の筆名を使ったのはこのときである。

吉川は講談社期待の新鋭作家となり、『坂東侠客陣』や『神洲天馬侠』で多くの読者を獲得。
毎日新聞社からも依頼を受けて『鳴門秘帖』を執筆する。

全集の発行や、作品の映画化で大きな収入を得た。

1935年には『宮本武蔵』の連載を開始して、大好評を得る。

また1942年には海軍軍令部からの嘱託で、海軍の戦史編纂を行った。

戦後は敗戦の衝撃からしばらく断筆していたが、親友の菊池寛の求めで再起。

1950年から連載した『新・平家物語』で第1回菊池寛賞。

1960年には文化勲章を受章した。

作品の特徴

「もとより武蔵の剣は殺でなく、人生呪咀でもない。
護りであり、愛の剣である。自他の生命のうえに、きびしい道徳の指標をおき、人間宿命の解脱をはかった、哲人の道でもある。」(『宮本武蔵』より)

日本を代表する歴史小説家・時代小説家。

初期には隠密による伝奇小説や剣豪の人生を語ったものが多く、やがて『三国志』や『新・平家物語』など、群像劇によって歴史のダイナミズムを描く作品へとシフトしていった。

幅広い読者層から愛され、多くの映画化作品を持つ。

当時の文壇からは通俗作家とみなされていたが、現代の視点からはあらゆる大衆から求められた国民作家であったといえる。

人間関係

【菊池寛】

親友。

敗戦の衝撃から筆を持てなくなった吉川に仕事を与え、再起の道を開いた。

趣味・嗜好

【競馬ファン】

小学校のころは家が騎手の馬屋に近く、将来は騎手になりたかったという。

これが影響してか、多額の印税を得てからは親友で同じく馬主だった菊池寛の勧めで、競走馬の馬主となっている。

数々の有力馬を所有していたが、1956年に愛馬がコーナー事故に巻き込まれて殺処分になってしまった。

この事故にショックを受けて競馬から足を洗い、以降はゴルフを趣味とするようになった。

【恋愛観】

作品の映画化などによって暮らし向きが豊かになると、貧しいころから連れ添った妻・やすが生活環境の激変から、ヒステリーを起こすようになってしまう。

新居の購入や養女を迎えることで安定を図ったが果たせず、耐えかねた吉川は一時期家出しながら執筆生活を送った。

結局やすとは離婚し、池戸文子と再婚している。

代表作

『鳴門秘帖』
江戸時代中期を舞台に、隠密の青年と阿波藩の剣士の戦いを描く伝奇小説。

司馬江漢の随筆『春波桜筆記』に着想を得て執筆された。

『宮本武蔵』
剣豪・宮本武蔵の生涯を描く物語。

太平洋戦争下の情勢と噛み合い、国民的人気を得た。

『三国志』
中国の三国時代を描いた歴史小説。

群像劇への転換点となった作品。

もっと詳しく知りたいなら?

吉川英治記念館

吉川が青梅に購入した旧邸を擁する。

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