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中野重治 声: 赤羽根健治
武器 派閥 プロレタリア
代表作 歌のわかれ むらぎも 梨の花
回想 歌のわかれ 歌のわかれ

冷静で落ち着いた顔をしつつも、心には罪悪感を抱えた青年。かつて己の信念よりも、文学活動を選んでしまった自分の選択を後悔している。自分の意見はしっかりと持っているようなのだが遠回しな批判をする傾向がある。また、意外にも大雑把で小さいことにはあまりこだわらない。文豪一、字が汚いとの評判。

モデルになった中野重治はこんな人!

筆名:中野重治
本名:筆名と同じ
出身地:福井県坂井郡高椋村
生年月日:1902年1月25日
没年:1979年8月24日(満77歳没)

生涯

大蔵省煙草専売局に勤務していた父の次男として誕生。

当時導入されていた全国試験で首席となるほどの優秀な学力を持っていた。

1923年に関東大震災で金沢に避難していた室生犀星と出会い、師事する。

1924年には東京帝国大学独逸文学科に入学。同人雑誌『裸像』で作品を発表する傍ら、共産主義に傾倒していく。

1926年にはマルクス主義芸術研究会を設置し、日本プロレタリア芸術連盟に入った。

1928年には全日本無産者芸術連盟(ナップ)や日本プロレタリア文化連盟(コップ)を結成。

プロレタリア文学への弾圧が強くなると検挙され、転向を条件に出獄した。

以降は転向小説を執筆するようになるが、時流を批判し続けたため当局からにらまれ、執筆禁止処分を受ける。

太平洋戦争時には積極的に戦争を称揚することも批判することもしないまま、終戦を迎える。
終戦直後、日本共産党に再入党。

新日本文学会を創立し、民主主義文学の発展のために精力的な活動を行う。

1947年からは3年間参議院議員を務めた。1958年には日本共産党の中央委員に選出されている。

しかしこのころ党内での対立が激しくなり、1964年に日本共産党を除名される。

共産党を離れても、中野は最期まで日本の左翼運動・文学運動で活動し続けた。

作品の特徴

戦前・戦後を通してのプロレタリア文学の担い手。

戦中の一時期は転向を強要されて転向文学を執筆していたが、戦後まもなく左翼に戻っている。

日本共産党を除名されても、生涯を通じて左翼活動の理念を問い続けた。

人間関係

【室生犀星】

師匠。

【菊池寛】

太平洋戦争期に文芸家協会が日本文学報国会へ改組されたころ、自分の左翼活動の経歴によって入会を断られるのではないかと恐れ、菊池にとりなしを願う手紙を送っている。

趣味・嗜好

【好き嫌い】

とても好き嫌いが激しい性格で、学生時代に嫌いな教科をまったく勉強しなかったため2回落第している。

代表作

『歌のわかれ』
気性の激しい青年・片口安吉の内面的成長を描く自伝的小説。

『むらぎも』
『歌のわかれ』に続き、東京帝大に入学した片口安吉のプロレタリア活動を描く自伝小説。

『梨の花』
北陸の田舎で過ごした幼少期をモデルとする小説。

もっと詳しく知りたいなら?

中野重治記念文庫

福井県の丸岡図書館内に存在。

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