中島敦 声: 石川界人 | |||
---|---|---|---|
武器 | 刃 | 派閥 | – |
代表作 | 山月記 | 光と風と夢 | 李陵 |
回想 | 高野聖 | D坂の殺人事件 | 山月記 |
表と裏の二つの人格を持つ青年。表の人格は礼儀正しい実直な青年だが、羞恥心が強く他人の反応をいつも気にしているようだ。一方で、侵蝕者との戦闘で現れる裏の人格は自尊心の高さと悪も厭わない冷酷さを併せ持つ。裏人格の時の記憶はあやふやだが、裏人格はもう一人の自分のことを知り尽くしているようだ。
モデルになった中島敦はこんな人!
筆名:中島敦
本名:筆名と同じ
出身地:東京府東京市四谷区
生年月日:1909年5月5日
没年:1942年12月4日(満33歳没)
生涯
漢学一家の出身で、幼いころから漢学に親しみながら育った。
東京帝国大学国文学科を卒業後は大学院に進んだ。
卒業後、私立横浜高等女学校にて国語と英語の教鞭を執る。
女学院を退職後、パラオ南洋庁へ教科書編纂掛として赴任した。
戦争の激化により帰国後、デビュー作の『山月記』と『文字禍』を発表。
しかし同年気管支喘息で早世した。
生前ほとんど評価されることがなかったが、死後に『中島敦全集』が刊行され、毎日出版文化賞を受賞。
『山月記』は国語の教科書に掲載され、生前の無名さにも関わらず現代では多くの人が知る作家となっている。
作品の特徴
「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。」(『山月記』より)
『山月記』や『李陵』など、漢学一家の出身にふさわしい漢文調の格調高い文体で有名。
実はユーモラスな独特の文体の作品も得意で、作品によって2種類の文体を使い分けている。
自身のパラオ赴任や、女学院の教師であったころの経験を元にした作品も執筆した。
趣味・嗜好
【二面性】
『山月記』などの印象から根暗な人柄を想像する人が多いが、本人は外交的で明るく人懐っこい人柄だったという。
ただし時にむっつりと黙り込んでしまうこともあり、やや二面性のある人物であったようだ。
代表作
『山月記』
清朝の説話集を下敷きにした物語。
詩人となることを夢見ながら官吏の道を歩んだ李徴は、ある日自分の中の獣性によって虎になってしまう。
数年後、友人が山道を通りかかったとき、草むらから聞こえてきたのは李徴の声だった……。
詩人となることを夢見ながら、官吏となったという李徴の身の上に、中島本人の投影が感じられる。
『光と風と夢』
イギリスの冒険詩人、ロバート・ルイス・スティーヴンソンが肺を病み、サモアで晩年を過ごす姿を描く。
これもまた中島の境遇を投影した作品である。
『李陵』
匈奴を相手に奮戦しながらも、敵に寝返ったと誤解された将軍・李陵の数奇な人生を描く。
中島の文学の基礎となった漢学の知識が余すところなく発揮されている。