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堀辰雄 声: 髙橋孝治
武器 派閥 新興芸術派
代表作 聖家族 風立ちぬ 菜穂子
回想 聖家族 歌のわかれ

会う人すべてに可愛がられるアイドル的立ち位置の少年。気遣いも出来るが空気を読みすぎて裏目に出てしまうことも。基本的に内気な性格だが、かつて病気と長い間戦い続けていた過去からか、土壇場で芯の強さを感じさせることもある。芥川龍之介から文学を学び彼からの信頼も厚い。蛇が大の苦手らしい。

モデルになった堀辰雄はこんな人!

筆名:堀辰雄
本名:筆名と同じ
出身地:東京府東京市麹町区麹町平河町五丁目(現:東京都千代田区平河町二丁目)
生年月日:1904年12月28日
没年:1953年5月28日(満48歳没)

生涯

広島藩の士族で、東京地方裁判所の監督書記を務めていた父・堀浜之助の妾腹の子として生まれた。

やがて母親が彼を連れて家を出て、彫金師・上條松吉と暮らし始めたため、幼かった堀は養父が死ぬまで彼こそが自分の父親だと信じていた。

長じると第一高等学校理科乙類へ入学。元来数学が好きだった堀だが、神西清との出会いによって文学に目覚める。

その後室生犀星との出会いや、関東大震災の中での母の死、芥川龍之介と知遇を得るなど、波乱の体験をすることとなる。
この体験は彼のトラウマとして刻まれ、後の彼の作品に大きな影響を与えた。

1929年、犬養健、川端康成、横光利一らと同人誌『文學』を創刊。

1933年、神経衰弱を癒すため軽井沢に滞在中、矢野綾子と知り合う。彼女とは婚約するが、1935年に富士見高原療養所に2人で入院中に綾子が死亡。
この体験が『風立ちぬ』の題材となった。

その後王朝文学や日本の古典文学に影響を受け、さまざまな作風の作品を発表した。

堀は48歳で病に倒れこの世を去ったが、死後に神西清や弟子たちの手で全集が発表された。

作品の特徴

「風立ちぬ、いざ生きめやも。」(『風立ちぬ』より)

私小説の中に意図的に西洋的な自然主義的小説表現を盛り込んだ作風が持ち味。

フランス文学の心理主義を積極的に取り入れた。

また『風立ちぬ』以降は王朝女流文学や日本の古典にも興味を示し、それらを融合させた新しい文学表現を模索した。

病弱で軽井沢でよく療養していたため、当地を舞台にした物語が多い。

人間関係

【室生犀星】

友人。

彼と軽井沢に出かけている間に関東大震災が発生した。

【芥川龍之介】

師匠。

芥川の恋人であった片山広子の娘・総子に恋心を抱いた。

【横光利一】

友人。ともに同人誌『文學』を創刊した。

趣味・嗜好

【恋愛観】

片山総子や矢野綾子など、恋した女性をモデルにした小説を多く書いた。

片山広子・総子をモデルにした『聖家族』、『菜穂子』や、亡き母をイメージした『ふるさとびと』などもあり、理想の女性観を追求した作家でもある。

代表作

『聖家族』
師匠であった芥川龍之介の自殺の衝撃から書かれた物語。

死の師をきっかけに、師の恋人だった夫人とその娘と出会った青年が、少女との恋愛を通じて事故を確立する。

これもまた、片山総子をモデルにした作品である。

『風立ちぬ』
自身の軽井沢での体験から執筆された、サナトリウム文学の傑作。

『菜穂子』
情熱的な性格を持ちながら慎ましく生きた母と、それ以上の熱情を持ちながらも愛のない結婚に逃避した娘の物語。

不幸な結婚生活を送る娘は、かつて恋した青年との再会を通じて葛藤する。

片山広子・総子をモデルにした作品のひとつ。

もっと詳しく知りたいなら?

堀辰雄文学記念館

軽井沢をこよなく愛した堀に関する資料を展示・保管する文学館。

軽井沢高原文庫

堀辰雄、室生犀星をはじめとする軽井沢にゆかりがある近代文学者の資料を展示。

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