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小林多喜二 声: 小西克幸
武器 派閥 プロレタリア
代表作 蟹工船 不在地主 党生活者
回想 暗夜行路 田園の憂鬱

かつて反逆者として追われた過去を持つ青年。一見して批判的でひねくれ者のように見えるが、心を許した人に対しては本来の優しさが現れる。権力嫌いだが戦うことに対しては譲ることができない信念があるようで、今回の危機についても彼なりに考えた上で協力してくれているようだ。細い見た目の割には大食漢。

モデルになった小林多喜二はこんな人!

筆名:小林多喜二
本名:筆名と同じ
出身地:秋田県北秋田郡下川沿村
生年月日:1903年10月13日
没年:1933年2月20日(満29歳没)

生涯

小作農家の次男として誕生。その後4歳のときに、伯父の計らいで小樽へと移住する。

伯父の工場で住み込みで働きながら進学し、在学中に創作活動に親しんだ。

卒業後は北海道拓殖銀行に勤務。

1928年に起きた三・一五事件を題材にした『一九二八年三月十五日』を発表。この中の特別高等警察による拷問の描写が、特別高等警察に目を付けられるきっかけとなる。

1929年には代表作『蟹工船』を発表し、プロレタリア文学の旗手として注目を集める。これによって警察から要注意人物としてマークされることになる。

これらの作品が原因で銀行を解雇された小林は、東京に転居。日本プロレタリア作家同盟書記長となる。

しかし日本共産党への資金援助の疑いで、1930年に逮捕。以降逮捕と保釈をくり返し、地下活動に移る。

1931年9月6日には文芸講演会に向かった小林が、事前に官憲によって逮捕されるという小林多喜二奪還事件が発生している。

1933年、特高警察に逮捕され、29歳の若さで獄死を迎えた。

作品の特徴

「そうだよ。今度こそ、このまま仕事していたんじゃ、俺達本当に殺されるよ。

犠牲者を出さないように全部で、一緒にサボルことだ。この前と同じ手で。

吃りが云ったでないか、何より力を合わせることだって。

それに力を合わせたらどんなことが出来たか、ということも分っている筈だ」(『蟹工船』より)

日本におけるプロレタリア文学の代表的な作家。

プロレタリア文学とは社会主義思想や共産主義思想を前面に押し出した文学のことである。

小林は作品を通じて資本主義社会の矛盾や、労働者階級の団結を説いた。

人間関係

【志賀直哉】

敬愛する作家。

志賀からはプロレタリア思想について難色を示された。

趣味・嗜好

【母思い】

とても母親思いで、地下活動をしている時期も原稿料を母に送った。

また拷問死の直前には、自分の死を母親にだけは伝えてくれるよう懇願したとされる。

代表作

『蟹工船』
蟹工船に乗せられた労働者たちが、資本側から非人道的な扱いを受ける物語。

権利意識に目覚めた労働者たちはやがて団結し、ストを決行する。

共産主義思想が如実に描かれている。

『不在地主』
昭和初期、北海道に起こった小作争議を元にした物語。

『党生活者』
身分を隠して軍需品工場に務める共産党員が、我が身を犠牲にしてでも活動に身を捧げる姿を描く。

もっと詳しく知りたいなら?

市立小樽文学館

小樽ゆかりの小説家、詩人、歌人、俳人の著書や資料を収蔵、展示。

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