夏目漱石 声:鳥海浩輔 | |||
---|---|---|---|
武器 | 刃 | 派閥 | 余裕派 |
代表作 | 吾輩は猫である | こゝろ | – |
回想 | 歯車 | 坊ちゃん | 坊ちゃん |
普段はユーモアに溢れ教養を感じさせるが、仕事では厳しい一面も見せることもある先生の鑑。人情にも厚く弟子である芥川龍之介をはじめ多くの人達に慕われているが、たまに繊細で気が弱い面を見せることもある。無類の甘味好きで特に羊羹が好物。食べ過ぎを注意されても、控えるつもりは全くないようだ。
モデルになった夏目漱石はこんな人!
筆名:夏目漱石
本名:夏目金之助
出身地:東京都新宿区喜久井町
生年月日:1867年2月9日
没年:1916年12月9日(満49歳没)
生涯
江戸の牛込馬場下の名主・夏目小兵衛直克と、千枝の末子(五男)として誕生。
豊かな家庭ではあったが、年を取ってからの子で母親からは恥じられていたり、養子に出された後に養父母の離婚で実家に戻されたりと、波乱の幼少期を過ごす。
家庭の都合や英語の学習のため転校を繰り返したのち、神田駿河台の英学塾成立学舎に入学する。
そののちに大学予備門予科へ入学。成立学舎の主審者を中心に、十人会を組織した。
1989年に正岡子規と出会い、友情を育むことになる。このとき漱石の号を正岡から譲り受けることになった。
帝国大学を卒業後は高等師範学校の英語教師を経て、愛媛県尋常中学校に赴任。このころの体験が『坊ちゃん』に反映されている。
1900年には文部省からの命令で、イギリスに留学。
しかし留学先では極度の神経衰弱に陥ることになる。
帰国した漱石は神経衰弱を和らげるために創作活動を行い、1904年に処女作『吾輩は猫である』を執筆。
以降さまざまな作品を発表し、1907年に教職を持して朝日新聞社に入社。職業作家としての道を歩むこととなる。
作品の特徴
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。」(『吾輩は猫である』より))
当時の文壇の主流派であった自然主義ではなく、独自の視点を持つ余裕派の作家。
長年患った精神衰弱から逃れるために作家を志すようになったという経緯から、どこか厭世主義的なところがあり、それが独自の視点の源となっている。
遅咲きの作家であり活動期間は11年ほどしかないが、日本での評価は非常に高い。
晩年は大病を経て則天去私の心境に至っていたとされている。
人間関係
【芥川龍之介】
門下生で漱石山脈のひとり。
安倍能成・小宮豊隆・鈴木三重吉・森田草平の四天王と漱石が中心になって開いた、木曜会に所属する文士を漱石山脈と呼ぶ。
【森鴎外】
同世代の作家であり、同じエリート階層というつながりがある。
趣味・嗜好
【病気がち】
生涯を通じてノイローゼや胃潰瘍、痔、糖尿病などに苦しめられた。
また天然痘の跡があり、コンプレックスになっていたという。
最期は胃潰瘍によって命を絶たれた。
【健啖家】
胃弱であったがビーフステーキや中華料理が大好きだった。
また甘党で、療養中にもアイスクリームを欲しがった。
【恋愛観】
夫婦生活では妻のヒステリーに苦しめられ、必ずしも良好ではなかった。
しかし“I love you.”を「月がきれいですね」と訳したことは有名。
代表作
『吾輩は猫である』
処女作。猫の視点から、世の中を皮肉って描いた小説。
漱石の厭世的な物の見方がありありと描かれている。
『こゝろ』
尊敬していた恩師の遺書に記された、若き日の過ちを描く物語。
親友を裏切って恋を選んだ男の葛藤がつづられていく。
もっと詳しく知りたいなら?
漱石が熊本で教鞭を執っていたときの5番目の住居跡に作られた記念館。
ロンドンに存在した記念館。2016年9月に閉館したが、バーチャル上で活動している。