北原白秋 声: 花江夏樹 | |||
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武器 | 銃 | 派閥 | 北原一門 |
代表作 | 邪宗門 | 桐の花 | – |
回想 | 山月記 | 破戒 | 蒲団 |
蠅 | 聖家族 | – |
詩だけでなく歌や作詞も難なくこなす俊才。その多彩な才能を慕って集まった弟子も多いが、本人は無関心を決め込んでいるようだ。批判されたり命令されることが嫌いで、本人曰く己の美的感覚を批判する者は許せないとのこと。その尊大ともとれる態度とは裏腹に非常な努力家で、一番であるための努力は厭わない。
モデルになった北原白秋はこんな人!
筆名:北原白秋
本名:北原隆吉
出身地:熊本県玉名郡関外目村
生年月日:1885年1月25日
没年:1942年11月2日(満57歳没)
生涯
江戸時代以来栄えた商家の出身。
県立伝習館中学に進学するが、詩歌にのめり込み落第する。
実家の酒蔵が全焼して家が傾くが、北原自身は依然として文学に熱中し、実家に無断で中学を退学して早稲田大学英文科予科に入学した。
友人の若山牧水と中林蘇水を合わせて“早稲田の三水”と呼ばれている。
1905年には『全都覚醒賦』が「早稲田学報」懸賞一等に入選し、新進歌人として注目されるようになった。
翌年には新詩社に参加し、文壇の交友関係を広げていく。
新詩社を離脱した後は石井柏亭らのパンの会に参加して、耽美主義的な詩風を持つ作品を発表していくことになる。
1912年、隣家で暮らしていた松下俊子と恋に落ちるが、俊子が夫と別居していた人妻だったため北原は収監されてしまう。
このスキャンダルが原因で、北原は一時期名声を失い、後の作風にも大きな影響を受けることになる。
後に視力を失うが、晩年まで執筆活動や編集を続けた。
作品の特徴
「われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。
黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂ひ鋭ときあんじやべいいる、
南蛮の桟留縞を、はた、阿刺吉、珍陀(※代字)の酒を。」(『邪宗門』より)
近代日本を代表する詩人・歌人。
南蛮趣味が強く、キリスト教や舶来品に関する詩を多く残している。『マザーグース』の翻訳も行った。
また童謡の作曲も行っており、現代でも歌い継がれる『待ちぼうけ』や『ペチカ』は北原の作品である。
人間関係
【石川啄木】
新詩社での友人。
北原は石川から女遊びを教えられたという。
【萩原朔太郎】【室生犀星】
文学誌『朱欒』の同人。
萩原と室生が世に出るきっかけを作った。
趣味・嗜好
【恋愛観】
生涯で3回の結婚を行った人物。
1度目の相手は自身が投獄される原因にもなった、隣家で別居していた人妻・松下俊子。北原の両親との折り合いが悪く、1年ほどで離婚している。
2度目の相手は詩人の江口章子。貧乏な北原を支えてくれた妻だが、山荘を新築した際の祝宴にて、北原が小田原の芸者総出の宴会を開く。
これまで北原を支援してきた弟たちがこれに激怒し、章子を非難したが、章子も自身の着物のほとんどを質入れして北原のわがままに付き合っていたため、行方をくらませてしまう。
章子の不貞を疑った白秋は、そのまま章子を離縁してしまった。
3度目の相手の、国柱会会員だった佐藤菊子との結婚で子供も生まれ、ようやく北原は安定した結婚生活を送るようになった。
代表作
『邪宗門』
処女詩集。
邪宗門とはキリスト教(キリシタン)のことで、北原の南蛮趣味が如実に表れている。
『桐の花』
北原の第一歌集。
北原の経験を交えた青春の歌や、西欧風のロマンティシズムにあふれた歌が収録されている。
もっと詳しく知りたいなら?
北原白秋の生家に隣接する記念館。