高村光太郎 声: 森田成一 | |||
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武器 | 銃 | 派閥 | 明星 |
代表作 | 道程 | 智恵子抄 | – |
回想 | 注文の多い料理店 | 蠅 | 手袋を買いに |
常に穏やかな笑みを絶やさないクールな芸術家。文学の分野では詩人として活躍しているが、その他にも彫刻や絵画、書道など多彩な才能を持つ。武道の心得もある一方で戦いは悲しみを生むだけと考えており、侵蝕者と戦わなければならないことには少し複雑に感じているようだ。彫刻に適した木を見ると周りが見えなくなる。
モデルになった高村光太郎はこんな人!
筆名:高村光太郎(こうたろう)
本名:高村光太郎(みつたろう)
出身地:東京府東京市下谷区(現・東京都台東区東上野)
生年月日:1883年3月13日
没年:1956年4月2日(満73歳没)
生涯
彫刻家の高村光雲の長男として誕生。
東京美術学校彫刻科で学びつつ、文学にも関心を寄せ、在学中に新詩社の同人となって『明星』に寄稿した。
1906年より留学に出て、ニューヨーク、ロンドン、パリを歴訪。
この経験で日本の旧態依然とした美術界に失望を覚える。
1912年に駒込にアトリエを建て、以降は彫刻と作詩を行った。
戦中には軍部に協力し、戦意高揚のために多くの戦争協力詩を発表。その一方で歌謡曲も作詞している。
終戦後は多くの戦争協力詩を作ったことを自省し、花巻市に粗末な小屋を建てて7年間を過ごした。
作品の特徴
「智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。」(『智恵子抄』より)
日本を代表する彫刻家にして、近現代の代表的な詩人でもある。
作風としては明星派で、ロマン主義的な描写を多く盛り込んでいる。
多芸な人物で、評論や随筆、画家、能書家としても活動した。
人間関係
【室生犀星】
友人。
お互いの詩の才能を尊敬しあっていた。
無名時代の室生が光太郎を訪ねたとき、室生のみすぼらしい姿を見た夫人の智恵子が追い返したというエピソードがある。
趣味・嗜好
【柔道】
ユージン・サンドウが広めたサンドウ式体操で身体を鍛えた。
ニューヨーク留学時代に、クラスメイトが高村の作品にいたずらをしたことがあり、高村はレスリング経験がある主犯格を相手に柔道で立ち向かった。
身体を鍛えていた高村はクラスメイトを締め上げることに成功し、それ以来いたずらはなくなったという。
【恋愛観】
智恵子夫人への愛情深さが有名。
智恵子は実家の破産がきっかけで精神を病んでしまったが、光太郎は彼女が死ぬまで看病した。
その思い出は『智恵子抄』で語られている。
代表作
『道程』
人生において歩むべき道について歌った詩。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」の一文は非常に有名。
『智恵子抄』
精神を病み病死した智恵子夫人を偲ぶ詩集。
もっと詳しく知りたいなら?
花巻市で高村が暮らしていたころの山荘を擁する記念館。